祝!アルバム「かがやき」高木正勝
つらつら思い出し日記
<第六回>
















2014年6月

少し戻って6月。
久しぶりに九州の地へ。
ぶははあ。
解放されました。
山の谷間で暮らしているので、広がった空がない、夕陽が拝めない。
ないものは、どこかで味わえばいいのです。





はればれ。
みなぎる。









鹿児島、しょうぶ学園、otto & orabu。
一緒に演奏。
彼らと出会わなければ、「かがやき」はなかったと思います。
実はこの頃、アルバム制作を進めていなければ間に合わなかったのですが、ちっとも進んでませんでした。。
どういう内容にしたいのか、締め切り一ヶ月前に模索中。。
でも、この彼らの魂の爆発を味わって、こちらの方向へと覚悟が決まりました。

そう、小学生のころ、普通のクラスとは別に「かがやき学級」という特別なクラスがありました。
当時、僕も小学生だったので詳しくわかりませんが、障がいを持つ子どもたちのクラスだったと思います。
僕はなぜか、「かがやき」に憧れていました。
あまりに自由そうにみえたから、あまりに活き活きしてみえたから。
言葉が難しいですが、魂だけのような存在だなあと感じてました。

引っ越す前ですが、すぐ近所にダウン症の女性がいました。
小さい頃から知っているけれど、ずっと子どものままのようで、大人になってからも自転車で僕の家の前をくるくる回っていました。
僕がご機嫌にピアノを弾けた時に限って、
カリカリカリリリ、、、
ペダルの小気味いい音が響いてきました。
その音が聞こえると、「ああ、やっぱりいまの演奏でよかったんだな」と感じてました。
彼女にピアノの弾き方を教わったようなものです。

「かがやき」

特別な響きです。

(12月5日、東京の科学未来館にて彼らと再び共演します!http://www.takagimasakatsu.com/takagi-info/info-j.html/#otto




しょうぶ学園、どこもかしこも、作り手だらけ。









しょうぶ学園にて数泊滞在。
夢のような時間でした。
絵の工房にて、ずばばっと描きました。






おばあちゃんにかわいらしい絵をもらった。
小さな頃に描いた絵で、踏みとどまって、そのまま伸ばしてゆくと、きっとこういう風な輝きが出てくる。
踏みとどまること。







2014年8月

「蛍が少なくなった」と村の人は言うけれど、たくさんたくさんいました。
あちこちで、つがいが満ちて、あたらしい命がうまれる。

「昔は、蛍を餌にして川で夜釣りしてたんや。光る餌やで、綺麗やった」











UAさん、あそびにくる。
とてもとてもエネルギーに溢れていて、そこいらじゅうに漏れ出してた。
始終、おしゃべりしていた。
「私も、いま、アルバムをつくろうとしてるんやけど、言葉が出てこないのよ。歌詞が」
「音はできてるんやけれどね」
ん??
ん???
僕がアルバムをつくるといったら「音」のことを考えます。
言葉が追っついてこなくても、音になっていたら大丈夫。
ん?言葉?
言葉がないから、仕上がらない?
そうか、歌詞、歌詞、歌詞かあ。。。





UAさんが朝に空港へと去っていった。
なんだか、どうにも収まらなくて、たまらずそのまま海に向かいました。
海に入って、ぷかん、ぼんやり浮かびました。

「おおかみこどもの雨と雪」の音楽をやらせてもらった頃から、ずっとイメージだけが頭にありました。
日本語でうたいたい。こういう旋律で、こういう日本語で。
「おおかみこども」の歌になっていない曲も、実は日本語で歌いたいと思ってつくっていました。
雰囲気だけはつかめていたものの、自然には表に現れてくれず。。。無理やり詩を書いてみると、どうにも嘘くさい。
これはもう、引っ越しして、自分の躰が知らない限り、出てこん。
そう思って山里に引っ越ししたのでした。

ああ、そうか。もう書いてもいいのかもしれない。
なぜだか、そう思えました。






妻のみかをちゃんも絵本がまったく進まず、苦戦しておりましたが、
この日、海に潜って、砂に潜って。
帰り道、なにやらメモしておりました。それが「かがやき」の絵本になりました。

人との出会い、場所との出会い。

ばしばしばしっと、一気に開花。









はあ

出てきました。


「かみしゃま」なんて、大げさですが、ちっとも大げさなイメージじゃなく、
日々、味わったことを。









さらにさらに、
森本千絵さんが結婚されるというので奄美大島に向かおうとしたら、巨大な台風がやってきて空港から引き戻されました。

ああ、楽器も持ったし、絵の具もいれたし、奄美大島でアルバム制作をしようと思ったのに、、無理だ!


えいっ!スイカをぽかり!

空が大きい、空が青い。
もう、したいようにしよう。



その足で下に住む97歳のおばあちゃん、しづさんのところへ伺いました。
「かみしゃま」を歌ってもらおう、録音しよう。




「し〜づ〜さん、お〜る?」

「ああ〜、こんにち〜は〜」
息深く、震える声。

「かっちゃんが『かみしゃま』っていう詩を書いたんやけれど、読んでもらえる?」
「ああ〜ええよ〜」

歌ってもらおうと思っていたけれど、難しい旋律だし、これは無理だと思って朗読してもらうことに。





「はこべや とうげの こゆるれば かみさま どこと おらるるる」

独特の言い回し。
歌詞を渡して、それを読んでもらったのだけど、文字通りにはいかない。

「とんてんしゃん ゆめ みられかれし とってん いしいしゃん」

うわ〜、なんだそれ、すごくいい

「こよい つき みちて」

「やみの おくと ひかる おくと まじわる」

ええっ!!!

「闇の億と 光る億の 交わり」
と渡した筈なのに、

「闇の億と 光る億と 交わる」

力強い調子で言い切られた。

ぞっとしました。ああ、すごい。






「ねえ、しづさん。かみさまってなんやろう」
聞いてみた。
そしたら、

「風が吹きよる。葉が裏返りよる。そしたら、大風が吹くなよ」

ん?何の話をしてるんやろう?
季節の変わり目の話かな?

その時はわからなかったけれど、石牟礼道子さんの「椿の海の記」を読んでいたら、
『川の神さまがひゅんひゅん鳴いて、村々の小さな谷という谷を伝って川に下んなはる』
という文があって、
あ、
しづさん、ちゃんと、かみさまについて答えてくれてたんや。







「かみしゃま」の朗読を録り終えて、しづさんの縁側でのんびりしていると、

ごおおおおおおおぉぉぉぉぉ

わあ、大風、吹いた。

(このときの音、そのまま一曲目の「うるて」に入ってます)



















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